映画「ゲッベルスと私」を観て

映画「ゲッベルスと私」岩波ホール

ナチスでプロパガンダを担った宣伝相、ゲッベルスの元秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの独白ドキュメンタリー。

普通の女の子が普通の幸せを求めて真面目に働いていたはずが、終戦とともに後ろ指を指されることになる。親切な職場の仲間たち、エリートの仲間入りをした誇らしさ、上司の信頼に応えたいという気持ち。ナチスの中枢で働いていた者にとってきっと言いずらかっただろうが、彼女は淡々と当時を振り返る。一方で「自分がやっていることはエゴイズムなのか」と自問する。撮影時、彼女は103歳という高齢であったが頭脳は明晰で、記憶もはっきりしているように見受けられた。

現代の人たちが「自分ならあの体制から逃げて抵抗できた」と天真爛漫に語ることについて彼女ははっきりという。「あの体制から逃げることは絶対にできない」「体制に逆らうのは命がけ。最悪のことを覚悟する必要がある」。この言葉は単なる言い逃れかもしれない。実際、彼女はユダヤ人虐殺のことは本当に知らなかった、と最後まで言う。「私に罪があるとは思わない。ただし、ドイツ国民全員に罪があるとすれば別よ。結果的にドイツ国民はあの政府が権力を握ることに加担してしまった。そうしたのは国民全員よ。もちろん私もその一人」。この言葉は言い逃れである一方、真実でもあるのだろうと私は感じた。この時代に生きる普通の女の子にとって、不都合なことは見なかったことにするのが、幸せに生きる術だったかもしれない。それはきっと彼女だけの話ではなく、多くの人にとってそうだったのではないか。時代や場所が違えど、似たようなことは色んなところで起きているのではないか。

彼女はゲッベルスの下で働く前は、ユダヤ人弁護士の事務所で働いていた。だんだんこの弁護士の仕事が減り、恋人の伝手で別の仕事もやるようになった。それがナチ党員のタイピストだ。午前はユダヤ人弁護士の事務所、午後はナチ党員の事務所。まるで悪い冗談のようだが、彼女は当時まったく政治に興味が無かったという。そのナチ党員が転職を斡旋してくれることになり、入党を勧められる。そうして放送局、宣伝省へと彼女は就職する。彼女は1942年から1945年までゲッベルスの秘書として働き、終戦とともにソ連軍に抑留。1950年に解放された。ソ連軍に抑留されていた場所は、ドイツがユダヤ人の強制収容所に使っていた施設だったそうだ。

現代の基準で過去の彼女を裁くのは、不公平かもしれない。彼女は特別、残虐な人間だったわけではない。ただ勇気がなく、小市民的な幸せを求め、身近な人の信頼を得るため真面目に働いてきた人だ。だがそんな人たちが集まったら、ホロコーストが起きた。では、もし今、ナチスのような存在が誕生したら、我々はそれを防げるだろうか。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」などという言葉もあるが、我々は歴史に学べているだろうか。彼女のこの歴史的価値ある証言を、ぜひ多くの人に観てもらいたい。

ブルンヒルデ・ポムゼルは2017年1月、老人ホームにて死去した。享年106歳。

 

監督はクリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー。上映劇場が少ないため、観られないという方は以下の書籍をお薦めしたい。


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