徳川慶喜の孫娘の自叙伝「徳川おてんば姫」の感想

「徳川おてんば姫」井手久美子(東京キララ社)

武家社会最後の将軍・徳川慶喜の孫娘にして、有栖川宮威仁の孫娘でもある井手久美子氏による自伝です。名家の生まれでありながら、元気いっぱいのおてんば姫に育った著者の半生は少女漫画そのもの。「歴史に疎い」「伝記ものに興味はない」という人も楽しめること請け合いです。フィクションの中でしか「お姫様」という存在を知らない我々にとって、「これが実在の姫の日常生活なのか……!」と驚くことばかりです。

まず生まれ育った場所がすごいです。3400坪の小日向・徳川慶喜邸。文京区春日のあたりです。「表」と「奥」に分かれていて、「表」は家令と呼ばれる者が、「奥」は元女官の老女が取り仕切っていたそうです。その老女は慶喜の初めてのお手付きの女官で、ともに江戸城を追われ、80年以上もの長い年月を慶喜の一家とともに過ごしたそうです。一家はみんな仲良く暮らしていたと、著者は懐かしそうに振り返っています。

この本は、今ではありえないようなお姫様教育の様子も伝えています。「昔は寝ているときに頭が動かないように、左右に剃刀を置いていたと怒られる」「『御膳所』と呼ばれる台所には入ってはいけない」などなど、確かに時代劇のお姫様が言われていそうな言葉がたくさん出てきます。中でも驚きなのが学校生活。もちろん女子学習院へ通うのですが、このお姫様用の学校ならではのエピソードも豊富です。まず、通学は運転手付きの車です。そしてお付きの者の待機場所「付添室」が校内にあり、お付きの者たち自身もそこでお裁縫などを勉強していたそうです。さらに、名家の子女ばかり集まる学校ならではの苦労が、歴史の授業。先生が徳川家康を「狸親父」と黒板に書き、豊臣秀吉の方が人気があった、などと話せば徳川家出身の女生徒が泣き出した、なんてことがあったそうです。なんでも生徒の三分の二は無試験で入学する華族出身者。華族には公家、武家(武家の中でも討幕派、佐幕派など)どちらも居たでしょうから、先生はうっかり「歴史のこぼれ話」とかもできなかっただろうなあと思います。

筆者が特に大切に記しているのが姉・喜久子妃殿下についてです。幼くして両親を亡くしている筆者にとって、年の離れた姉は母代わりの存在。その姉は幼少期にはすでに高松宮宣仁親王に嫁ぐことが決まっており、妃殿下となってからも筆者と親しく交際していたそうです。徳川慶喜の孫娘と大正天皇の息子の結婚ですから、まさしく「公武合体」だったんですね。大政奉還で「徳川家は終わった」なんてイメージがありますが、一つの華族として宮家との関わりが続いていたことを初めて知りました。本書は大正から昭和にかけての旧武家・皇室の歴史の一端を教えてくれるテキスト、とも言えそうです。

著者は夫との結婚、戦争による死別を経て、復員した軍医と再婚。最初の夫は結婚直後に出征し、著者は義父母と生活することになりますが、その苦悩は共感を呼びます。その後、戦後の混乱期には横浜に医院を開き、どんな診療でもやっていたそうです。二人目の夫は手先の器用な医者だったらしく「妾を持つ間だけパイプカットして、本妻ができたら元に戻して」なんていう依頼にも応えていたといいます。そんな手術が可能なのかということ以上に、お姫様が自叙伝にそんなエピソードを記していることが驚きです。

あとがきに書かれていますが、本書はもともと文芸春秋で作られていたのが、東京キララ社に制作が移行したそうです。もし文芸春秋で出版されていたら、ガチガチの伝記ものになっていたのではないかなあと勝手ながら推測します。そうだとしたら私はきっと手に取っていなかったでしょうから、これも素敵な縁に恵まれたと思います。

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