「誤解を招いた」という誤解

誤解

事実とは異なる認識を持ったり、物事を本来の意味とは違って理解したり、その人の真意を相反する方向に判断したりすること。
(新明解国語辞典第7版)

「誤解」という言葉が良いように使われて過ぎている。「誤解を招いたこと」を詫びる人たちを見かけると、しでかしたことに対しても、詫びる気のない態度に対しても、そしてあまりに言葉を軽視した態度にやり場のない怒りを感じる。「誤解を招いたことを詫びる」とはつまり自らの発言に間違いはなく、受け取った方が悪いと言っているだけで、なに一つ謝っていない。「ごめんなさい」と動かした口から、「俺は悪くない」という音を発しているだけで、もはやいっこく堂にも謝れと言いたい。

謝って理解するの意で、会話にも文章にも広く使われる日常の漢語。(中略)他の類義語が、聞き手や読み手の側にも不注意なり何らかの要因がある感じを伴うのに対し、この語は事実と違う意味に受け取ることを客観的に表すのにとどまり、その要因についてはまったく言及していない。→思い違い、考え違い
(語感の辞典)

「語感の辞典」はその言葉の指す意味だけでなく、その言葉がどんな感じを持っているのかを伝えようとする辞典だ。「感じ」は人にもよるが、共有されている部分もある。上記の語感の説明を読んで、どう思われるだろうか。いま偉い人たちの使う「誤解」とは、だいぶ違う印象を受ける。「語感の辞典」が発売されたのは2010年。たったの8年で「誤解」はすっかり「言い逃れに便利な言葉」として誤解されてしまったのだろうか。

それにしても面の皮が厚いというのは、最強の盾なんだと思い知らされる。「AはBだ」とはっきり言っておきながら「自分はCと言ったつもりだったが誤解を招いた」と断言して自分の地位と名声を守ろうとし、そして大抵は守りきってしまう場面を我々は何度も見てきた。だが私の友人に言わせると「本当にそう言ったと思い込もうとしてるんだよ」。面の皮の厚さとは、自分の柔らかい心を守るための盾でもあるのだろうか。

まちがえてちがった意味に受けとること。
(三省堂国語辞典第7版)

意味をとりちがえること。まちがった解し方をすること。
(岩波国語辞典第7版)

上記2冊の辞書と、最初に挙げた新明解の語釈はやはり違う。「その人の真意を相反する方向に判断したりすること」という説明が、私には味わい深く感じられる。三省堂と岩波には「謝って理解した」という意味しか読み取れないが、新明解からは「表面ではなく真意を理解しきれなかった場合」も「誤解」の意味に含めているように思われる。新明解は一言余計な独特の語釈で有名だが、ここにもそんな意気込みを感じる。私の手元にある第4版の新明解から、この語釈は変わっていない。もしも編集主幹の山田忠雄が今の社会を見たら、この語釈に手を加えただろうか。加えたとしたら、どんな風に書き換えただろう。

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