障害をめぐる表記の問題 宝塚市が「障碍」使用へ

宝塚市が公文書の表記を「障害」から「障碍」に変更したと報じられました。

公文書表記、「障害」を「障碍」に 宝塚市が初の実施へ(朝日新聞)

どうしてこれがそんなにニュースになるかというと、自治体が「障碍」という表記を公文書で採用するのは初めてのことだからです。「碍」は常用漢字には含まれていないため、多くの公文書では使用されていません。ですが「障害」ではなく「障碍」を使いたい、という声は昔からあり、たびたび議論になっていました。そこで今回は、障害をめぐる表記の問題についてまとめたいと思います。

「障害」と「障碍」と「障がい」

障害には主に3つの表記があります。「障害」と「障碍」と「障がい」です。「チャレンジド」という言葉もあるぞ、という方もいらっしゃると思いますが、この章では「ショウガイ」にあてる表記に議論を絞ります。

基本的には、公文書では「障害」が使われます。マスコミもそれに倣って「障害」を使うことが多いです。これは、公文書は常用漢字で書くというルールに則った結果です。ですが「害」という字には災害、害悪といった悪いイメージがあるので使用を避けるべきだという考え方が最近は強くなっています。

「障がい」という表記もよく見かけます。例えば「障がい福祉課」といった部署名は自治体などではよくあります。「障がい」なら常用漢字で書いてあるからOKじゃないか、と思われる方も多いと思います。ただ「交ぜ書き」は避けるべきだという考え方も根強くあります。ちなみに交ぜ書きとは、漢字とひらがなが交じった表記のこと。「障がい」「子ども」「たん白質」「すそ野」などが挙げられます。

交ぜ書き議論はたびたび発生しています。ご参考までに。
『子供』と『子ども』をめぐる論争と“交ぜ書き”の現状(ニッポン放送)
平成24年6月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文(埼玉県議会)

「障碍」という表記は「碍」が常用漢字ではないため、公文書の類ではほとんど登場しません。「碍」には「さまたげる」という意味がありますが、そもそも「碍」という字になじみがない人も多いかと思います。障碍のほかには「碍子(がいし)」「融通無碍」などで使われる漢字です。ちなみに黒子のCMでおなじみの「日本ガイシ」も正式には「日本碍子」という商号です。
「邪魔をする、わざわい、命をとめる」といった意味をもつ「害」よりも「碍」の方が適切だ、という考える方も多くいます。「碍」が障害者が直面する社会の壁を表している、という意見もあります。そういう背景もあり、たびたび常用漢字に入れるように要望があがっています。

「碍」の常用漢字化についての要望(NPO法人日本障害者協議会)
漢字「碍」の常用漢字への追加に関する質問主意書(衆議院)

障害の表記を考えるための論点 その1

障害の表記について考える材料として、よく取り上げられる考え方があります。それが「社会モデル」「医学モデル」というものです。

「社会モデル」とは、障害者が困難に直面する原因は社会に問題があるから、という考え方です。困難を解決するには社会を変えていく必要がある、というわけです。もう一方の「医学モデル」とは、障害者が困難に直面する原因が障害者自身にあるので、障害者自身が治療やリハビリによって困難を克服すべきだという考え方です。国連の「障害者権利条約」には社会モデルの考え方が反映されています。

そのため障害の表記をめぐっても、この社会モデルを反映したような表記にしよう、という論点があります。ただ難しいのが、どの表記が社会モデルを反映しているといえるのか、という点です。内閣府の「障がい者制度改革推進会議」が2010年に出した「障害」の表記に関する検討結果についてを読んでみても、どの表記が社会モデルを反映しているといえるのか、人・団体によって意見がバラバラで、統一見解にたどり着く難しさを感じます。

障がい者制度改革推進会議の検討について、こちらにも解説が載っています。
「碍」と「礙」(三省堂)

障害の表記を考えるための論点 その2

もう一つの論点として、純粋に言葉・漢字の意味としてどれが適当かを考えてみます。さきほど示した検討結果には、文化市議会国語分科会における議論が載っており、そこに「障害」と「障碍(礙)」の歴史的変遷についてまとめてあります。(ちなみに礙は碍の本字)

それによると「障害」は江戸末期には使用例があるそうです。「障碍(礙)」はもともと仏教語で、「しょうげ」と読まれていたそうです。明治期になって「しょうがい」とも読まれるようになり、二通りの読みが併存することになります。しだいに「障害=しょうがい」「障碍(礙)=しょうげ」と書き分けることが増え、大正期には「しょうがい」の表記は「障害」が一般的になったそうです。そして戦後、当用漢字表を作るにあたって「障害」のみが採用され、今に至ります。

「しょうげ」とは

さきほど「障碍(礙)」はもともと仏教語で、「しょうげ」と読まれていたと書きました。仏教語としての「障碍(礙)」には、悟りの邪魔になるものという意味があります。国語分科会における議論には「悪魔、怨霊などが邪魔すること」ともあります。

障と害

「がい」の表記ばかり注目されますが、「障」には「さわり、さまたげる、せきとめる」などの意味があります。ただ「害」には「さまたげる」だけではなく「人を殺める」という意味もあります。

漢字圏の外国では

中国語について私は詳しくないのではっきりしたことは書けないのですが、「漢字圏の外国人にも配慮して”障碍”を使うべきだ」という考えもあるようです。

交ぜ書き問題

前半で説明した通り、「障がい」という表記については「日本語として交ぜ書きは良くない」という考えが根強くあります。また「ひらがなにすることで問題の所在を曖昧にしている」という反対意見もあるようです。一方で「碍が常用漢字ではないので、ひらがなにするのは自然」「害を使いたくない」という理由から「障がい」という表記もかなり広まっています。

国語分科会の主張

以上のように、障害の表記をめぐる考え方は多岐にわたります。長年「碍」を常用漢字に入れてこなかった国語分科会ですが2018年11月に「障害」の表記に関するこれまでの考え方(国語分科会確認事項)という文書を発表しています。ここには「常用漢字表は、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の『目安』」「地方公共団体や民間の組織において、表にない『碍』を用いて表記すること等を妨げるものではない。それぞれの考え方に基づいた表記を用いることが可能」と表明しています。

最後に

ここまで障害の表記をめぐる問題をまとめてみて感じるのが、「表記を統一することの難しさ」です。言語には情報の伝達という役目がありますから、言葉の実用性を高めるためのルールは必要です。そのために、目安である常用漢字が大切な役割を果たしていることも分かります。一方で言語は自己表現の手段でもあります。自分のことをどんな言葉で、どんな漢字で表すのかというのはアイデンティティーにかかわる重要な問題です。その点を踏まえると軽々に「この表記はおかしいでしょ」とは言えない話なんだなと感じました。

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