明治時代の校正とは? 上田万年の「印刷物校正法に就きて」を読んで

国語学者の祖といえば上田万年(1867-1937)です。東京帝国大学の教授を務め、「大日本国語辞典」を編纂した一人でもあります。言文一致運動にも深く関わり、近代の国語政策に多大なる影響を与えたました。

その上田万年が雑誌「日本文学」に「印刷物校正法に就きて」という論文を発表しました。明治22年(1889年)のことです。そういえば校正記号ってどこの誰がいつ決めたのか、さっぱり考えたことがありませんでした。まさか明治半ばに校正記号について論文が書かれているとは。しかも上田万年が。

然し私は、活版屋に懇意の者がありといふではなし、また一々活版屋と聞き合はせたといふわけでもありませんから、現在の印刷職業者間に、定りたる符牒があるかなきかは存じません、然し、その符牒は、一まとめになりて世人に注意される様になりて居らんことだけは、私の固く信じて居る處であります。故にある一部の符牒になりては、私が此に案出したのよりは実際、広く行われ、又、便利乃多いものもありませう。唯私は、左の符牒ととば初めて一まとめにし、初めて文学社会上に提出した点からして、もし以後此法を使用し下さる諸君子があるならば、何卒これを上田氏校正法と呼ばるるやう祈望します。最も、此法とても幾分か、かの英米の「コレクシヨン、オヴ、ゼ、プレッス」法を斟酌したことは、私がここに公言する所であります

「日本文学」10号、日本文学発行所(明治22年5月25日出版)12p

不勉強なので「コレクシヨン、オヴ、ゼ、プレッス」が何なのか分からないのですが、おそらく英米の出版に関する書物なんだろうと思います。そちらも参考にしつつ、上田万年は校正記号を案出したとこのと。本人は「初めて文学社会上に提出」と言っていますから、広く通用する校正記号は無かったのだろうと思われます。印刷所、校正者などによってバラバラな記号を用いていたのでしょうか。そもそも校正記号が文学の範疇に含まれるのか気になるところでもあります。

恥ずかしながら私は入社してからずっと、社内でしか通用しないような指摘方法しか知りません(^-^; 「上田校正法」という呼称が現代でもどこかの校正現場で使用されているのか、確かめる術を持ちません。ただ、調べた限りでは見当たりません。ですがこの論文に掲載されている校正記号はいま使用されいるものと似ているものも多いです。この論文をもって「現代の校正記号は上田万年が作った」とは言えませんが、上田万年の時代からその形はあまり変化がないことが分かります。

画像はいずれも前掲書13p

私は茲に、右の諸符牒を実施して一例を示すつもりでありましたが、少々間に合ひません故、残念ながらそれは、次号に譲ることと致しました

前掲書15p

上田万年は論文を上記のように結んでいます。ですが「日本文学」11号以降のものを確認しましたが、この続きはありませんでした。

ちなみにこの論文は国会図書館でデジタル版を見ることができます。印刷も可能なので、興味のある方はぜひ読んでみてください。そしてこの論文に関連するような情報があれば、ぜひ教えていただきたいです。

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